Manglove 〜 低燃費住宅への振り返り・・・

posted on: author: h-souda category: ブログ・想い / 低燃費住宅

 

今日はちょっと これまでの歴史の振り返りです。いま早田は何をしているか?ということをつらつら書いてみようと思います。

早田は2008年〜工務店での営業責任者という立場でしたが、ドイツに渡り、持続可能な街造りをしたい!という想いでセミナー業、コンサルティング業で生計を立てることになります。  これが 早田の創業時法人マングローブ・クリエーションになります。東北での活動をしないと決めての独立でしたので、東北・北海道を除いた 日本の中心は名古屋・三重あたりということまた、弊社の現在専務芝山が三重・常務近藤が大阪ということもあり、本社を三重県に設置しました。

2011年に震災が起きてから、早田は まずは「エネルギーパス」の普及啓蒙に特化しました。震災後正直 顧問業・コンサル業で生計を立てていた 僕らは東日本の顧客支援が事実上半年、もしくはそれ以上凍結したのです。ですので「エネルギーパス」の普及に全力投球できました。

そのときの 本社がある三重でも今後どうして行くか 大決断をしました。

「このままセミナー講演だけでも日本は変わるのは時間がかかる!自らの手で行動しよう!」

ということで、早田の本業である コンサル業・顧問業を急激に縮小し、自ら更に事業を起こそうと決意したのです。それが 「低燃費住宅」です。 これまでの経験を伝える仕事から 経験を実践するという方向に大きな舵切りました。

 

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震災後、原発の事故、たくさんご縁があった東北での震災・津波 これは頭の中では何も整理がつかないことでした。

僕にできることは「宣言」して「行動」すること。ですので まだ会社も設立していない先から宣言していました。

「高気密・高断熱ましてや 低燃費住宅なんてドイツレベルの住宅、福島から程遠い四国で普及すれば日本は変わる!」

「初年度60棟のお客様とのご縁を頂戴する!!」この事を2012年の春には言い始めました。

会社のブランドも何も無いし、知名度も無い中で、地域性から考えても恐らく 60棟なんてことは誰も目標にしないし、到底達成は難しい数字に見えるかと思います。 しかし これまでの自分の成功体験からも、周りの環境・仲間・時期からもこのタイミングしか無い!と    重い腰をあげることにしました。

それは【エネルギーパス協会】の代表理事も優秀な今泉さんに譲ることが出来ましたし、早田の次のミッションでもありました。人生の中で大きな転機とはいくつ訪れるのでしょうか?

早田の人生では 中学卒業後 → 陸上自衛隊少年工科学校入学 も大きな転機でした。 自衛隊を辞めさせて頂き、左官業の父の家業を手伝うことになったのも、ひとつの転機でした。  また、左官業がバブルが弾けて縮小する中で、住宅業に向かっていくのも大きな転機でした。 そして 6年ずつ 2つの工務店で若いのに抜擢されて信用されて要職に付けて 様々な経験をさせて戴いたのも重要でした。

そして 村上敦さんとの出会い、訪独、独立、支えてくれている仲間、この環境・震災

生かされていることへの感謝、そして 自分のこれまでの経験を 【生かす】ことが重要だと悩んだ末に【住宅請負業】に 邁進する方向に 心の舵を切るのです。

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震災後 夕焼けから闇夜に心が落ち、悩んだ末「低燃費住宅」設立の行動夜明けの時期でした。

 

なぜ 心の舵を切るのか? なぜ 成功してきた体験が多い住宅業に参入するのをそんなに悩むのか・・・僕のことを知っている人もよく疑問だと言われます。成功できるでしょう?と・・・でも悩む理由は 逆にこの業界を知りすぎているからでもあります。

【それは お客様の財産を一生守り続けることが自分にやれるのか】という これまでの住宅請負業の苦しさも、辛さも解っている故 踏み出すことに対する 自分が責任が取れるかどいうかという 【自問自答】の日々だったのです。

そんな中で お客様に恵まれて、また お客様にご迷惑をおかけして いまに至ります。

そんな部分も正直に このブログに 時々書いていかせてもらいます。 自戒の念も込めて。

「未来のこどもたちのために・・・」

 

 


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